大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 平成8年(う)1083号 判決

主文

本件各控訴を棄却する。

当審における未決勾留日数中、被告人甲野一郎に対しては二一〇日を、被告人乙川二郎に対しては一六〇日を、それぞれの原判決の刑に算入する。

理由

被告人甲野一郎の本件控訴の趣意は、弁護人中山徹作成名義の控訴趣意書に、被告人乙川二郎の本件控訴の趣意は、弁護人遠山泰夫作成名義の控訴趣意書にそれぞれ記載されたとおりであり、これらに対する答弁は、検察官片山博仁作成名義の答弁書に記載されたとおりであるから、これらを引用する。

一  法令適用の誤りの主張その一(被告人甲野の弁護人中山徹作成名義の控訴趣意書第一の一ないし四、六、被告人乙川の弁護人遠山泰夫作成名義の控訴趣意書控訴理由その一)について

論旨の主張の骨格は次のとおりである。

ア  原判決は、被告人両名の本件関与事実として、両名とも、オウム真理教団の教祖AことM、Bその他と共謀して、法定の許可を受けず、かつ、法定の除外事由がないのに、ロシア製自動小銃AK-74を模倣した自動小銃の大量製造を企て、平成六年六月下旬頃から(但し、被告人甲野は右Mらの意図を認識して意思を相通じた同年八月ころ以降)、同教団施設において、工作機械で鋼材を切削するなどして銃身、遊底、上部遊底、制退器、銃身受、引金等の金属部品を、また、射出成形機で銃床、握把等のプラスチック部品をそれぞれ製作し、更に、銃身にライフル加工を施す等して小銃用部品を製作し、なかでも上部遊底、制退器等数種の部品については一〇〇〇個の製作を開始し、自動小銃一〇〇〇丁を製造しようとしたが、警察の強制捜査を受けたため目的を遂げなかった、との事実(被告人乙川については原判示第一事実)を認定し、これを包括して刑法(平成七年法律第九一号附則二条一項本文により同法による改正前のもの)六〇条、武器等製造法三一条三項、一項、四条の銃砲無許可製造未遂罪に当たるとした、

イ  武器等製造法は、完成品である銃砲のほか、銃砲に使用される部品のうち政令で定めるものを武器に当たるとした上で(同法二条一項一号及び六号)、それらの武器のうち銃砲の無許可製造を三年以上の有期懲役に処し、その未遂を罰すると定め(同法三一条一項、三項)、それ以外の武器の無許可製造を三年以下の懲役若しくは三〇万円以下の罰金に処し、又はこれを併科するとしている(同法三一条の二第一号)。そして、右部品のうち政令で定められているのは、小銃関係では銃身だけであって(同法施行令三条)、その余の部品の製作は何ら規制されていない、

ウ  両規定の法定刑には右のとおり大きな開きがあるので、罰則全体の整合性を重視して解釈すれば、同法三一条一項にいう「銃砲の製造」とは、銃砲の部品が既に製造され存在する状況を前提として、その部品を組み立て発射機能のある完成した銃砲として仕上げる行為をいい、その前段階に当たる銃砲の部品を製造する行為は、自ら銃砲を完成させる意思で行われた場合であっても、これに含まれないと解するのが相当である。

エ  ところが、原判決はいずれも、被告人らが銃砲の部品の組立行為に着手した事実を認定していない、だから被告人らはいずれも無罪であり、それぞれの原判決にはこの点で判決に影響を及ぼすことの明らかな法令適用の誤りがある、というのである。

そこで検討するのに、

1  武器等製造法三一条は、銃砲の無許可製造行為を三年以上の有期懲役に処し(一項)、その未遂を罰する(三項)と定め、同法三一条の二第一号は、それ以外の武器(この中に銃砲に使用される部品であって政令で定めるものが含まれる。)の無許可製造行為を三年以下の懲役若しくは三〇万円以下の罰金、又はこれを併科すると定め、それ以外の部品の製作行為に対しては何らの規制をしていないこと、これによれば、三一条と三一条の二の両規定の法定刑に大きな開きがあることは所論指摘のとおりである。しかし、このことから、部品の製作行為は、それが三一条の二第一号に該当する場合のほかは、部品を単に部品として製作する場合はもとより、銃砲を製造する意思で、その一過程としてこれを製作する場合にも全く規制されていないと考えるのは相当でない。

すなわち、武器等製造法の罰則規定は、規定の文言や体裁からみて、三一条一項は、銃砲を製造する意思で行う場合についての規定であり、三一条の二第一号は、本件に即して言えば、銃砲等に使用される指定部品を製造する意思、つまりそれ以上に銃砲を製造する意思まではない場合についての規定であると考えられる。すなわち、両罰条の法定刑にこのように大幅な開きが設けられている最大の理由は、犯人が銃砲を製造しようとしていたのか、それとも単にその部品を製造しようとしていただけであって、銃砲を製造する意思まではなかったのかという発想の危険性の違いにあると考えられる。行為の外形上は等しく銃砲の部品を製造しているようにみえる場合であっても、それが真実は銃砲を製造する意思で、たまたま銃砲製造の一過程として部品を製作していたという場合には、これを放置すればそのうちに銃砲の完成に至るおそれなしとしないのであるから、その製造、販売等を規制しようとする本法の立場上は、無許可製造禁止の要請の強さに応じて、どの段階から先の行為を規制すべきか、またどの程度強く規制すべきかを判断することとなるのに対して、もしそれが単に部品を部品として製造しているだけで、それ以上に自ら銃砲として完成させる意思がない場合であれば、そのまま放置しても直ちに銃砲の完成に至るおそれはないのであるから、規制の必要もそれだけ乏しいことになるので、そのことを前提として、あとは部品の製作それ自体についてどの程度の規制が必要かを、別個の観点から判断すべきことになると考えられるからである。部品の製造という外形上同じようにみえる行為であっても、行為者の真の意思如何によって、行為の持つ社会的意味は必ずしも同じではない。このことは、例えば等しく刃物を隠し持つ行為も、持つ者の意思如何によって、単なる軽犯罪と評価されたり、殺人の予備行為と評価されたりする場合があることを想起すれば容易に理解されよう。これと類似の事例は他にいくらでも想起することができる。要するに、武器等製造法三一条一項と三一条の二第一号の法定刑の違いは、所論がいうような、銃砲製造の行為段階の違い、すなわち、その行為が、外形上部品製造の段階にある時は軽く、部品完成後その組立段階に達している時は重く処罰しようとするものであるとか、それは行為者に銃砲完成の意思があってもなくても同じであるなどとは到底理解できない。原判決の判示は、以上に述べたところと同趣旨と理解される。

2  これに対して所論は、そのような解釈をすると、様々な疑問が生じ、罰則の整合性の観点からみて不当な結果になるという。そして、もし、銃砲に使用されている個々の部品の製作に着手し、それぞれを部品として完成させるまでの行為も銃砲の製造行為の一部をなすと考えることにすると、(ア)銃砲の部品の製造行為に罰則を設けたところで、その適用の余地がまったくなくなってしまい、(イ)銃砲の部品の製造行為は、本来既遂に達しなければ処罰されないはずなのに、部品の製作に着手しただけで処罰の対象になってしまい、(ウ)銃砲の部品の製造行為は、本来政令で指定された部品以外は処罰されないはずなのに、すべての部品の製作行為が処罰の対象になってしまい、(エ)何らかの基準を設定して二つの罰則を使い分けることとした場合、法定刑の大きな違いを合理的に説明できるか疑問であり、不当ではないかと主張する。

しかし、右の疑問はすべて、銃砲製造の意思による行為には三一条一項が、また部品製造の意思があるだけで銃砲製造の意思まではない行為には三一条の二第一号がそれぞれ適用されるという両規定の趣旨の違いを正しく意識していないことから生じる疑問、混乱ではないかと思われる。すなわち、前述した解釈によれば、(ア)三一条の二第一号の部品製造行為に対する罰則は、部品を製造する意思はあるがそれ以上に自ら銃砲として完成させる意思まではない場合の部品製造行為に適用されるから、このような解釈の下でも、同規定の適用の余地がなくなるわけではないのである。(イ)また、銃砲の部品製作行為のうち、三一条一項による処罰の対象となるのは、その部品を製作することが、社会通念上、同条の定める「銃砲の製造」という構成要件に該当すると判断される性質・内容を備えた行為の場合だけに限られる。つまり、銃砲に使用される部品であればどのような性質・内容の部品を製作しても直ちに「銃砲の製造」という同条の構成要件に当たるというものではなく、これに該当するためには、当初から銃砲そのものを製造する意思で、銃砲に使用される部品の中でも銃砲を銃砲たらしめる弾丸発射機能に直結する中核的性質をもった部品製作行為に着手することが構成要件上必要である。だから、前述のような解釈をすると銃砲の部品製作行為がすべて三一条一項によって処罰されることになるという所論の主張は当たらない。(ウ)そして、銃砲を製造する意思でその製造行為をする場合と、単に部品を製造する意思であってそれ以上に自ら又は共犯者らを介して銃砲まで製造する意思がない場合とでは、その行為の社会的危険性に格段の差があることは明らかであるから、その格差に基づいて、それぞれの行為に対する法定刑に相応の差を設けることには、それなりに合理的な理由があるといえる。

3  むしろ実際上重要と思われるのは、三一条一項の「銃砲の製造」とはどの範囲の行為を指しているか、これを部品製作行為との関係でいえば、どのような性質の部品の製作を、どの段階まで行ったときに「銃砲の製造」行為に当たると判断されることになるのか、の点である。同条に該当するのは「銃砲を製造」する行為であって、「銃砲に使用される部品を製造」する行為ではないから、銃砲に使用される部品の製作を始めれば、それがどのような性質の部品であっても直ちに銃砲製造行為に当たるとするのでは、その範囲が広くなりすぎるし、そのような解釈は、文理上も困難である。そこで、原判決は、その点について、銃砲製造行為の着手時期を「銃砲完成の具体的危険性が発生した時点」に求め、その上で「銃砲の主要部品の製造行為が、自己又は共犯者において銃砲を完成させる意思の下に着手されれば」、銃砲製造行為に着手したとみてよいとしている。これに対して、所論は、銃砲の部品が製造され、存在する状況を前提として、その部品を組み立てて発射機能のある完成した銃砲として仕上げる行為だけが銃砲の製造に当たると主張するのであるが、部品がすでに完成していて、それを組み立てる行為が「銃砲の製造」に当たることについては、原判決の立場でも、さして異論はないであろう。しかし、銃砲の製造に当たるのはその場合だけに限られるとするのは疑問である。すなわち、組み立てる段階にまでは達していなくても、銃砲の弾丸発射機能に直結する中核的部品の製作に着手し、社会常識上、その部品の製作が銃砲の製造に直接結びついていると受け取られるような場合には、その社会的危険性と銃砲の無許可製造禁止の趣旨等からみて、それは定型的に銃砲の製造行為に当たると考えるのが相当である。原判決が判示しているのもそのような趣旨と理解されるのであって、それは十分理由のあることと考えられる。そうすると、原判決が、そのような理解を前提とした上で、被告人両名が、他の共犯者らと共謀の上、自動小銃を製造する意思で、被告人乙川は銃身、遊底、引金ほかの部品を製作し、あるいは銃身にライフル加工を施すなどし、同甲野は銃身部品に薬室加工を行う等したほか、ともに大量の上部遊底、制退器等の銃砲に使用される部品の製作を開始したが、小銃の完成に至らなかった事実を認定して、これに平成七年法律第九一号による改正前の刑法六〇条、武器等製造法三一条三項、一項、四条を適用したのは正当というべきである。

これに対して、被告人乙川の弁護人は、原判決が理由中で用いている主要な部品という概念は曖昧である、部品の製作にあたって、それが主要な部品であれば三一条一項の適用があるが、主要な部品でなければ、政令で定められている場合のほかは規制されないとすると、その具体的範囲が行為者にとって一義的に明白だといえなくなり、罪刑法定主義に反する、と主張する。しかし、ここで問われているのは、あくまでも三一条一項にいう「銃砲の製造」とはどの範囲の行為を指しているか、同条の右のような規定の仕方はそれ自体曖昧過ぎるかどうかの点である。原判決が主要な部品という言い方で説明しているのは、「銃砲の製造」に当たると判断される行為の内容とその範囲を多少とも分かりやすくするための補助的な解説を示しているに過ぎないのであって、それ自体を新たな構成要件の解釈基準として持ち込む趣旨とは考えられない。原判決は、つまるところ、銃砲の本質的機能である金属性弾丸の発射機能を中心に据えて、これを直接支えあるいはこれに不可欠な部品を主要な部品と称して、そのような性質の部品の製作を銃砲の製造行為の一部と評価する趣旨と理解されるのであるから、「銃砲の製造」という同条の要件は、他の多くの罰則規定と比較して格別曖昧過ぎるとは考えられない。右規定は、実定法の解釈として現実の運用に耐え得るだけの明確性を持っているといえる。

4  次に、被告人乙川の弁護人は、部品はどのようなものでも常に完成品を目指して製造されるものであって、部品だけを製作する意思など想定できないと主張する。製作された部品それ自体の流れに着目すれば、部品は、通常の状態では、いずれは部品製作業者から武器製造業者の下へ流れていって、そこで完成品の組立に使用されることになるのは当然である。しかし、先に「部品を部品として製作しようとしているだけで、それ以上に自らが銃砲として完成させる意思のない」場合と述べたのは、製作された部品が最後まで完成品となって陽の目をみることがないというような、部品の流れについてのことではない。自ら又は共犯者らにおいて、製作された部品を使って完成品にするまでの意思がない場合を指していることはもとよりである。そのような場合が少なからずあることは明らかであり、そのような意思の有無が銃砲の部品製作行為の社会的危険性に違いをもたらす以上、それが規制方法の違いになることは、先に述べたとおり十分理由のあることと考えられるのである。

また、被告人乙川の弁護人は、所論の中で、原判決が同被告人に対する原判示第二の事実において、その実行の着手時期を、部品一式を取り揃えたとされる平成六年一二月下旬と読む以外にない記載をしている点は、他の理由中で実行の着手時期について示されている見解と異なっており、理由齟齬であるとの口振りの部分がある。しかし、原判示第二の事実においては、部品製作行為が更に進んでよりはっきりした銃砲製造行為に発展した場合であるために、銃砲製造行為として、より異論の少ない行為をとらえて審理対象とし、その結果を判示したに過ぎないとみられるのであって、その際組立に供された部品が原判示第一事実の経過で製作されたものであることも併せて判示されている点からみて、実行の着手時期について異なった見解を判示した趣旨とは認められず、理由齟齬に当たるとはいえない。

以上の次第であるから、被告人甲野の原判示の行為及び被告人乙川の原判示第一の行為を、いずれも銃砲の無許可製造未遂罪に当たるとした原判決の法令適用に誤りはなく、論旨はいずれも理由がない。

二  法令適用の誤りの主張その二(前記中山弁護人作成名義の控訴趣意書第一の一ないし三、五、六)について

論旨は、要するに、原判決は、被告人甲野がオウム真理教教祖M、Bら他の教団信者らと意思を相通じて、自動小銃約一〇〇〇丁を製造しようと企てたと認定したが、武器の製造とは完成した部品を組み立てることをいい、したがって武器の製造について共謀したというためには、共犯者らが後日組立行為に着手するであろうことについて、部品の製作に必然的に伴う抽象的な認識の域を越えて、相当程度具体的な認識を持っていることが必要だと解すべきところ、原判決はこの点の事実関係について何も触れておらず、また、被告人甲野が右のような具体的認識を持っていたことを認めるに足りる証拠もないから、原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな法令適用の誤りがある、というのである。

そこで、検討するのに、自ら又は共犯者らと共謀して銃砲を完成させる意図の下に、銃砲の弾丸発射機能に直結する中核的部品の製作に着手し、社会常識上、それを製作することが銃砲の製造と直結していると受け取られる場合には、完成した部品を組み立てる段階に達していなくても、武器等製造法三一条一項にいう「武器の製造」に着手したということができることについては前述した。しかし、その場合、個々の犯人において、銃砲の完成に至る全体的態勢を細目まで認識している必要はないが、共犯者らが完成した部品を組み立て、銃砲を完成させる意思を持っていることをある程度具体的に認識していることは必要だというべきであり、その限りにおいて、所論の指摘にはもっともな点がある。所論は、原判決がその点について何も触れていないかのようにいうが、その指摘は当たらない。原判決は、被告人にその点の認識があったことを積極的に認めていることが明らかである。すなわち、原判決は、被告人甲野が、「当初は情を知らずに銃身加工等を行ってきたが、平成六年八月ころ、本件共犯者らの意図を認識した上、意思を相通じ」たと判示しており、これは同被告人が、MやBらにおいて、最終的には製作した部品を組み立てて自動小銃の完成品多数を製造する意図であることを認識した上で、引き続き犯行に加功した趣旨を認定・判示した趣旨と受け取られるからである。そして、原審で取り調べられた関係証拠によると、右認定どおり、同被告人は、清流精舎でNC旋盤のオペレーターとして、平成五年六月ころから、教団幹部のYの指示により、一二〇〇個製作するという予定の下に、M0という記号と番号の付された図面に従って銃身の外径加工をしていたもので、当初はそれが何であるか分からなかったけれども、平成六年八月ころ、同人から薬室の加工を指示された際、その精度を検査するための検査具の形状がまさに銃弾そのものであったために自分が加工しているものが銃身であることを明確に知り、またそのころ清流精舎のNC旋盤チームが、同じくYの指示で、M0という記号と番号の付された図面に従って多数の部品を各一二〇〇個宛製作するなどしていたことや、これまで教団が独力で清流精舎などの大がかりな建物を建築してきたこと、さらには小銃の密造をYが独自の判断で行うとは考えられないことなどから、教団がこれら一連のM0という記号と番号が付された部品を使って大量の小銃を組み立てようとしていることを認識したのに、その後も引き続きYやHら教団幹部の指示に従って銃身加工等の作業を続け、あるいは清流精舎のNC旋盤チームのリーダーとして小銃部品の製作に関与していたことが認められるのである。これによれば、共犯者らが銃砲を完成させる意思を持っていることについて必要な認識を持っていたことは明らかで、原判決の前記認定は正当ということができ、論旨は理由がない。

三  量刑不当の主張(前記中山弁護人作成名義の控訴趣意書第二、前記遠山弁護人作成名義の控訴趣意書控訴理由その二)について

論旨は、要するに、被告人甲野を懲役二年六月に、同乙川を懲役三年に各処した原判決の量刑はいずれも重すぎて不当である、というのである。

そこで、原審記録を調査して検討するのに、本件は、オウム真理教の出家信者であった両被告人が、教祖のMや幹部のBらと共謀し(被告人乙川)、あるいはそれらの者の意図を認識した上で同人らと意思を相通じて(被告人甲野)、ロシア製の軍用自動小銃AK-74を模倣した自動小銃約一〇〇〇丁を秘密製造しようと企て、山梨県下の教団施設等に据え付けた各種の工作機械を使用して、多数の自動小銃用部品を製作し、自動小銃を製造しようとしたが、途中で警察の捜索を受け、未遂に終わったという事案及び被告人乙川は、その過程で、Mほかの幹部らと共謀して、小銃一丁を完成させて製造したという事案である。

教団は、武装化の一環として、大量の自動小銃の秘密製造を計画し、幹部数名をロシアに派遣してAK-74の調査と資料収集を行った上、入手した銃を分解した部品の一部を密かに我が国に持ち込んで製造方法の検討を進め、多額の資金を投入して、マシニングセンター、NC旋盤、大型射出成形機、深穴ボール盤、放電加工機ほか多数の工作機械を備えた製造工場を作り、多数の信者らを動員配置して製作及びその工程管理に当たらせ、多量の特殊鋼材等を調達して主に部品の製作を続けていたものである。その間には、発見押収されたものだけでも数万点に上る多数の部品が製作されていたばかりか、かなりの殺傷能力を持つ試作銃一丁を完成し、引き続き作業の効率化と完成品の量産体制確立を目指す研究も行われていたのであって、本件は、過去に例を見ない、大規模で組織的、計画的な銃器密造事件であったことが明らかである。発覚が遅れておれば、それほど遠くない時期に、高い殺傷能力を持つ自動小銃が多数製造された可能性を否定できず、これを手にする者達のまことに特異で危険な発想と相まって、深刻な事態の発生も危惧される状態にあったと考えられるだけに、本件が社会に与えた衝撃、不安には計り知れないものがある。

本件において、被告人甲野は、清流精舎のNC旋盤のオペレーターをする中で、当初は事情を知らないまま小銃部品の製作や銃身の外径加工をしていたが、平成六年八月ころ、上位者から銃身の薬室加工を指示された際、それが小銃の銃身であることを明確に知り、教団が大量の小銃を密造しようとしていることを理解したのに、その後も半年以上の間、NC旋盤チームのリーダーとして、銃身の外径加工やNC旋盤による部品の製作に従事していたこと、NC旋盤チーム内における同被告人の立場や小銃部品中最も中核的な銃身の製作に関与したこと等からみて、同人が果たした役割は小さくないこと、同被告人は、教団が警察の捜索を想定し、組織ぐるみで完成部品等の隠匿工作を行った際、数回にわたってこれに関与したのみならず、更に捜査が進展した平成七年四月には、他の信者らとともに銃身を切断して処分するなどの罪証隠滅行為を行ったこと、こうして自己の一連の行為が危険極まりない反社会的行為と知りながら、それも修行のうちとする同教団の特異・異様な教えに盲従したこと等の諸事実に照らすと、犯情は軽視できず、責任は重大である。そうすると、反面、本件犯行は未遂に終わっていること、同被告人は一般の出家信者の立場にあり、犯行の全貌までは詳しく知らず、上位信者に指示されるままに従属的立場で本件に関与したものであること、比較的若年で前科がないこと、両親が指導・監督を約束し、被告人も教団脱退の意向を一応示し、事態を考え直す態度が芽生えているやに窺われることなどの点を有利に考慮しても、同被告人を懲役二年六月に処した原判決の量刑はまことにやむを得ないものであって、これが重すぎて不当であるとは考えられない。

次に、被告人乙川は、教団幹部の指示により、当初は事情を知らないまま金型を設計して小銃のプラスチック部品を製作していたが、平成六年五月ころ、幹部から本物の弾倉を渡されてその製作を命じられたことや、組織内部で銃弾の製造にも着手しているという噂話を耳にしたことがあって、教団が大量の自動小銃を密造しようとしていることを知ったのに、その後も長期にわたって同様の作業を続けていたこと、原判示第二の小銃一丁を製造する際には、これに取り付ける弾倉を加工調整するなどし、さらにその後も握把の金型設計とその製作、弾倉の改良などの作業を続けていて、それらの部品製作の上で同被告人はかなり中心的役割を果たしたこと、同被告人は、自己の一連の行為が危険極まりない反社会的行為であることを知りながら、それも修行のうちとする教団の特異・異様な教えに敢えて従っていた点は被告人甲野の場合と同じであり、教団が引き起こした一連の事態を直視し、これを率直に見つめ直す自覚が今なお乏しい状態にあるとみられること等の諸事実に照らすと、同被告人の場合にも犯情は軽視できず、責任は重大である。そうすると、反面、原判示第一の犯行は未遂に終わっていること、同被告人は一般出家信者の立場にあり、犯行の全貌までは知らず、上位信者に指示されるまま、従属的立場で本件各犯行に関与したと認められること、同被告人は大学に僅かの期間通っただけの生活経験に乏しい青年で、前科前歴は全くないことなどの諸事情を有利に考慮しても、同被告人を懲役三年に処した原判決の量刑は、これまたまことにやむを得ないものであって、これが重すぎて不当であるとはいえない。

被告人乙川の弁護人は、同被告人の刑責評価に当たっては、同被告人らが製造した完成銃が、武器としては使いものにならないものであったことを考慮すべきであると主張する。確かに、試作品として銃一丁が完成しただけであり、しかも精度が劣っていて、そのままでは適合実包すら得にくい欠陥があった上、連射機能もなかったというのであるから、本来の兵器という基準からすればまだまだであることは覆いがたいけれども、他方強力な弾丸発射能力を持っていることは否定できず、市民レベルの凶器としては危険この上ない代物といってよい。しかも、今後作業精度が上がり、教団の小銃密造計画が歩を進める危険性は過小評価できない域に達していたのであって、このような実態に相応した限度では量刑上の考慮を欠かせないところというべきである。

以上の次第であって、論旨はいずれも理由がない。

よって、刑事訴訟法三九六条により本件各控訴を棄却することとし、平成七年法律第九一号による改正前の刑法二一条に従い、当審における未決勾留日数中、被告人甲野に対しては二一〇日を、被告人乙川に対しては一六〇日をそれぞれの原判決の刑に算入し、被告人乙川の当審訴訟費用については刑事訴訟法一八一条一項ただし書を適用して同被告人に負担させないこととし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 秋山規雄 裁判官 門野博 裁判官 福崎伸一郎)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例